実務家がMaterials Informaticsに期待すること「第3章:MIで「つなぐ」ということ」
前回の振り返り
前回は、MIとシミュレーションの特徴を比較し、それぞれの強みを活かした使い分けについて説明しました。 主なポイントは以下の通りです:
- シミュレーションの特徴
- 物理法則に基づく数理モデルによる現象の再現・予測
- スケールごとに特化した手法(量子スケールからマクロスケールまで)
- 実験結果との比較による妥当性確認が必須
- MIとシミュレーションの使い分け
- MIが有利な場面: 発現機構が異なる特性値を同じ説明変数で予測、複雑な発現機構・多目的変数
- シミュレーションが有利な場面: ウェットな実験のコストが高い時、シミュレーションの妥当性が確認されている実験系
- 実務での位置づけ
- シミュレーション:特定分野で輝ける専門的手法
- MI:大きな得意不得意はなく気軽に利用できる汎用的手法
今回は、MIの重要な機能である「つなぐ」ということについて詳しく説明します。 材料開発における工程間の連携や知識の統合という観点から、MIの実務的価値を深掘りしていきます。
1. MIが「つなぐ」ことの実務的価値
MIの真価は、単独での予測能力だけでなく、異なる要素を「つなぐ」ことにあります。
材料開発の現場では、様々な情報や工程が断片的に存在しており、それらを統合的に活用することが大きな課題となっています。
1.1 開発効率の向上
期待される価値:多技術の連携不足を解決する 近年の材料開発では、コンビナトリアル合成のような高速な実験手法、第一原理計算のような精密なシミュレーション、そして機械学習といった多様な技術が用いられています。しかし、これらの技術が個別に運用されている現状では、得られた情報の断片化が起こり、全体として最適化されていないという課題があります。
MIの期待される機能は、これらの多様な技術が生み出す膨大なデータを統合し、各技術間の橋渡し役を担うことです。これにより、実験、シミュレーション、データ解析がシームレスに連携し、開発プロセス全体を効率化する全体最適化が可能となります[1]。
1.2 知識の蓄積と活用
MIがもたらす価値:分散したデータを組織の知へと転換する 材料開発組織では、日々膨大なデータが生み出されていますが、その多くが属人的な形式で保存され、組織的な知として十分に活用されていない現状があります。
この課題を解決するため、データ管理の最適なアプローチであるFAIR原則(Findable, Accessible, Interoperable, and Reusable)を導入し、分散したデータを統合する仕組みを構築することが重要です[2]。この仕組みによって整備されたデータこそが、MIにとっての「燃料」となります。MIは、このようにして組織全体に共有された知識を活用することで、効率的な知識の再利用と、データに基づいた意思決定を強力に推進します。
また、専門性が細分化されているため、隣の組織や自分以外の人の研究内容を理解することが難しいことも、組織横断でのデータ活用が進まない要因の一つと考えられます。
MIは、過去のデータから相関関係を学習する手法なので、深い知識がない状態でも、先ずは他の組織の過去データが役立つ可能性があるのかを手軽に探ることができます。他の組織の研究が役立つ可能性があると分かった時点で、その領域の専門家の協力を仰ぐ、といったことがやり易くなるのではないかと、私は期待しています。
2. 具体的な「つなぐ」事例
2.1 実験とシミュレーションの統合
事例:実験データと計算結果の融合
Stanev et al. (2018)の研究[3]では、超伝導材料の開発において、実験データとシミュレーション結果の統合解析が報告されています:
- 実験データ:実測値、信頼性が高いが限定的
- シミュレーション結果:大量のデータが得られるが、近似に依存
- 統合解析:両者の長所を活かした予測
MIは、実験データとシミュレーション結果を統合的に学習することで、より高精度な予測を実現しました。
MIによる統合解析:
- 実験データの不足部分をシミュレーションで補完
- シミュレーションの近似誤差を実験データで補正
- 両者の信頼度を考慮した重み付き学習
報告された結果:
- 予測精度の向上(実験のみ比20%向上)
- データ取得コストの削減(実験コスト30%削減)
- 未知領域での予測可能性の向上
2.2 多技術の連携による開発効率の向上
事例:コンビナトリアル合成とハイスループット特性評価
材料開発の効率化を加速させるため、コンビナトリアル合成、ハイスループット特性評価、計算手法といった複数の技術を連携させるアプローチが重要視されています。
Shahzad et al. (2024)のレビュー論文 では、これらの技術を組み合わせることで、以下の様な材料探索が実現可能だと述べています[1]。
- 薄膜材料のライブラリ:一度の実験で、256種類の異なる組成を持つ薄膜を一度に作製できるシステムが紹介されています 。
- MIによるデータ解析:この実験で生成された多次元データをMIが解析することで、材料の組成、構造、機能特性の間に存在する相関関係を特定し、新しい材料の設計と予測を可能にします 。
このアプローチは、勘や経験に頼る従来の試行錯誤的な手法から、データ主導的かつ効率的な材料開発へと移行するための鍵となります。
2.3 ハイスループット実験とMIの連携
事例:ポリマーの熱伝導率の高速探索
Wu et al. (2019)は、ポリマーの熱伝導率を高速で探索するために、ハイスループット実験とMIを連携させた事例を報告しています。この研究では、MIモデルが実験データを学習し、次に測定すべき最適な組成を予測することで、実験回数を劇的に削減しました[5]。
- AIが次の実験を提案:MIは、これまでの実験データから最も情報量の多い、つまり「次に何を実験すれば効率的にデータが集まるか」を自律的に判断します 。
- 実験と予測のループ:人間が設定したルールに従うだけでなく、MIが自ら最適な実験計画を立て、それをハイスループット実験システムが実行するという、実験と予測のループが実現されました。
この手法により、従来の手法では困難だった、大規模な材料探索空間における効率的な材料発見が可能となりました。
3. 実装における課題と解決策
MIを実務に導入する際には、いくつかの技術的な課題に直面します。ここでは、特に重要と考えられるデータに関する課題と、その解決策について述べます。
3.1 データ品質の課題
課題:データの信頼性と完全性の確保 異なる部門や工程で収集されるデータは、測定環境や記録方法の違いから品質にばらつきが生じがちです。特に、MIの学習データとして使用する際には、データの信頼性(情報が真実であること)と完全性(必要な情報が欠けていないこと)が保証されていなければ、モデルの予測精度が低下するという大きな課題があります[4]。
期待される解決策: この課題を克服するためには、信頼性の高いデータベースプラットフォームを構築することが不可欠です。このプラットフォームは、まるで「データの品質管理を行う関所」のような役割を果たします。
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データの種類ごとに、記録すべき項目とフォーマットを標準化することで、データのルールを統一します。
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データ入力時に自動的な品質チェック機能(例:必須項目の欠損チェック、値の範囲チェック)を設けることで、データの信頼性を担保します。
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データの来歴(誰が、いつ、どのように取得したか)を追跡可能にするメタデータ管理システムを導入することで、データの完全性を保ちます。
3.2 データ統合の課題
課題:多様なフォーマットと相互運用性の欠如
材料研究では、実験装置からの生データ、シミュレーション結果、論文の図表、社内レポートなど、多種多様なフォーマットのデータが生成されます。これらのデータは、特定のツールやソフトウェアに依存していることが多く、異なるシステム間でのデータの共有や再利用が困難な状態です。この「データの共有や再利用が困難である」という点が、相互運用性の欠如という課題を指しています[6]。
期待される解決策: この課題を解決するためには、データの相互運用性を高めるアプローチが不可欠です。
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データに意味的なメタデータを付与し、フォーマットが異なっていてもデータの意味を理解できるようにする。
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統一されたデータモデル(例:オントロジー)に基づいて、データを標準化する。これにより、特定のシステムに縛られることなく、複数のデータセットを横断的に統合し、研究者間の協力を促進するとともに、MIによる全体的なデータ解析を可能にします。
4. まとめ
今回は、MIの重要な機能である「データ統合」に焦点を当て、MIが、異なる技術や部門の情報を「つなぐ」ことで、開発プロセスを劇的に効率化する可能性について述べました。
次回予告:現状の技術的制約
次回は、これまでの内容を総括し、MIを実務に導入する際の技術的な制約について話をしたいと思います。
参考文献
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Shahzad, K., Mardare, A. I., & Hassel, A. W. (2024). “Accelerating materials discovery: combinatorial synthesis, high-throughput characterization, and computational advances.” Science and Technology of Advanced Materials: Methods, 4(1), 2292486.
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Aggour, K. S., Kumar, V. S., Gupta, V. K., Gabaldon, A., & Cuddihy, P. (2024). “Semantics-Enabled Data Federation: Bringing Materials Scientists Closer to FAIR Data.” Integrating Materials and Manufacturing Innovation, 13(3), 420-434.
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Stanev, V., et al. (2018). “Machine learning modeling of superconducting critical temperature.” npj Computational Materials, 4(1), 1-9.
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Li, S., Xu, L., & Huang, M. (2025). “Design and development of civil aircraft material database platform.” Journal of Physics: Conference Series, 3026, 012051.
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Wu, S., et al. (2019). “Machine-learning-assisted discovery of polymers with high thermal conductivity.” npj Computational Materials, 5, 66.
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Valdestilhas, A., Bayerlein, B., Moreno Torres, B., Zia, G. A. J., & Muth, T. (2023). “The Intersection Between Semantic Web and Materials Science.” Advanced Intelligent Systems, 5(11), 2200231.
用語解説
- マルチスケール学習: 異なる時間・空間スケールのデータを統合して学習する機械学習手法
- マルチモーダル学習: 数値、画像、テキストなど異なる形式のデータを統合して学習する手法
- 全体最適化: 複数の工程や目的を同時に考慮した最適化手法
- 知識統合: 異なる分野や工程の知識を統合的に活用すること